毎年、この季節がくると 必ず思い出すこと

2003年4月のこと。独自にはじめた無肥料(無堆肥)無農薬栽培に行き詰っていたときに、青森県で無肥料無農薬でリンゴ栽培を確立していた木村秋則さんとの出会いがありました。木村さんは近年、超有名人になり、知っている方も多いのではないでしょうか。

不可能といわれた無農薬リンゴを確立されるまでには長い年月の苦労があったそうです。昔は慣行栽培(農薬・肥料を使用)を行っていましたが、農作業を共にしていたご家族が極度の農薬中毒にかかったことから無農薬栽培への転換を決意したそうです。

それからは波乱万丈で、7年間は全くリンゴが実らず、春に咲くはずのリンゴの花も咲かず、夏に葉が全部落ちてしまうほどで、次々と枯れていくリンゴの木の光景が続いたそうです。 経済的にも窮地に追い込まれ、周囲からは変人扱いされながらも無農薬栽培への熱意を絶やすことなく、強い信念と深い愛をもって続けた9年目の春・・・

あきらめかけていたときに、隣の畑の人が「おい!木村、リンゴの花が咲いているぞ!」と言って家に駆け込んできたそうです。まさかと思いリンゴ畑に行ってみると、一面にリンゴの白い花が一斉に咲いていたそうです。「本当だろうか!。とめどもなく涙があふれた。その花を見ようと思っても、そのときは、自分の涙で目の前が見れなかったんです」と、その当時のことを木村さんは話されました。

その後、リンゴは毎年赤い実をつけているそうです。 深い観察。試行錯誤のチャレンジ。うまくいかないことの連続。もうやめようかと思いつめた夜のこと、途方に暮れ深い森の中をひとり歩き周ったときに、森のフワフワの土壌を手に取り、土づくりのヒントを得たそうです。

木村さんは、リンゴ栽培はもちろんのこと、お米・野菜の栽培にも熟知しています。その貴重なお知恵を学ばせて頂こうということで、木村さんを飛騨高山へお招きし、地元の農家仲間をあつめて、現地指導を頂きました。

そのとき学んだことのなかで・・・「無肥料で野菜が育つには野菜の近くに大豆を育てると良い。大豆は空中の窒素を土壌に固定する微生物(窒素固定菌・根粒菌)がいるから、その窒素が肥料になり、野菜も育つ(木村さんの理論と技術)」。

 学んだ技術を実践に移す年 ~ 理論どおりには ならなかった けど・・・

~ 「これはすごいぞ! これなら無肥料で野菜が育つかもしれない」・・・

この年、私はこの大豆と野菜の混植の技術を取り入れ、畑のあちこちに大豆の種を播きました。

しかし・・・理論と現実はこれほどまで違うのだろうか・・・・無肥料の畑に植え付けた野菜の苗は、ほとんど成長することがありませんでした。

一方、脇役のはずの大豆は生育旺盛で、どんどん大きくなり、ついには主役の野菜の成長を追い越し、大豆は大きな株になったのでした。畑の見学に来た農家の人が「ここは大豆畑ですね」と、勘違いしたほどでした。

夏に予定していたピーマンやナスの収穫は皆無のなか、秋がきて、「今年、この畑はなにも収穫ができなかったなぁ~」と、畑にしゃがみこみ嘆きました。

土の上に座りこむと、ふだんは見ない大豆たちの目線になります。すると、それまでは気づかなかった大豆の生い茂る葉の下に大粒の枝豆がびっしりついていることに気づきました。まさか、と思い、すぐに大豆の株を引っこ抜き、枝豆にして茹でて食べました・・・「うまい!」 。

脇役としか思っていなかった大豆から枝豆を収穫しようとは、全く思っていなかったので、驚きの発見でした。「枝豆として収穫したらきっと喜んで買っていただけるかもしれない」と思い、早速、そのときのお取引先のお店などへ案内したところ「季節はずれだけど、試しにお店にだしてみようか」という快い返事を頂き、枝豆をはじめて出荷することができました。すると、これが大好評!。

次々と色々なお取引業者様、個人のお客様からご注文を頂きました。枝豆さんも、一転して主役になった心意気なのか、次から次へと、たわわに実って私を応援してくれているようでした。夕方刈り取ってきた枝豆を、毎晩夜なべをして、枝豆のさや取りと袋詰めの作業が続きました。そして、この年に収穫された枝豆は、なんと400kg。夏野菜がほとんど収穫できなかったことを穴埋めしてくれるかのように、思いがけない収入を頂きました。「木村さんのおかげで、大きなプレゼントを頂いたようなものだなぁ」と言って、家族皆で喜びあいました。そして次の年からは枝豆さんは脇役ではなく、はじめから主役として畑で育つ事になりました。

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