種まきから成長まで、身をささげ、そして収穫のときを迎える野菜は奇跡

そして、皆様のもとへ届く野菜たちがもたらす ファンタスティックな世界があるのかも

日常的に野菜たちが私へ、いろいろなメッセージを送っています。たとえば、家族がケガをすることを未然に防ぐために教えてくれたこと、子どもの成長期の子育てで、どのように子どもに接したらよいのかを教えてくれたこと、私への心の励ましや力添えにエネルギーを注いでくれていたことなどなど・・・

なんとも不思議な話ですが、農園では、日常的に野菜たちと私とのドラマが展開しています。野菜たちは、収穫されるだけが恵みではなく、その成長 期にあっても、身を捧げ、人に愛を尽くしてゆきます。現象としては、枯れたり、虫がついたり(虫の知らせ)、普通に成長しないことのような異変の姿が、メッセージそのものであり、その姿をもって私へ何かを伝えようとしてくるのです。畑では収穫まで育たないものが多くあります。収穫まで育った野菜は、奇跡です。
予定どおりに野菜が育たず、収穫ができないことは、農家としては不都合なことで、つらいことです。ナスの枯れゆく姿を前に、私はナスたちに心よりの感謝ができているだろうか?。「残念だ」「困った事だ」とだけ思い落胆していたのならば、そこに身を尽くし、心を尽くしている野菜たちの愛を感じることとは間逆なことになっているのかもしれません。

「あなたは、この愛・うけとめますか?・・・」

野菜たちからいつも、問いかけられているような気がします。

ナスが枯れた畑には、また再び、新しく小さなナスの苗が植えられて、成長をはじめています。今年、もしナスが収穫されることがあれば、それは私達の身体の栄養となる以上に、心に安心感と癒しをもたらすような、ナスになるのかもしれません。ナスの心が伝わるときです。そのことが何よりもナスたちの喜びなのかもしれません。

その収穫の日を楽しみに、ナスの成長を見守ってゆきます。そしてまた、インゲン畑の隣には、インゲンが播かれました。キュウリも新しく成長を始めています。私自身があきらめることなく、野菜たちへのそそぐ心をもち、前向きに種を播き続けることが続けば、畑では私と野菜たちの対話は繰り広げられ、時がながれゆきます。
よしま農園の野菜たちが皆様のお手元に届くとき、皆様の心に響く何かがあれば、それはまた皆様のもとで、ファンタスティックな世界が広がっているひとときなのかもしませんね♪

【注】私は野菜の声が聞こえるということはないので、メッセージとは、分かる人を通じて聞き知った内容です。

お客様の声

○いつも人参さんをありがとうございます。抗がん剤も無事に終わり抜けていた髪の毛も早速生えて、同じ癌仲間にびっくりされております。人参さんのおかげと感謝しております。(AHさま)
○ちいさな小さな人参さんを見ていると涙があふれてきました。早速教えて頂いたようにして頂きました。どなたか人が一瞬現れた気がして左側が温かくなり、その後、マントか毛布を背中から掛けて頂いたような感じで、あたたかく包まれて安心感で、また涙が止まらなくなりました。(兵庫県)

○お花と一緒に人参を送って頂き、どうもありがとうございました。雪の下人参さんを飲む前は後頭部の痛みが増していて(腎、心、脾臓の未病ということです)辛かったです。飲み始めて徐々に痛みがやわらぎ3日目にはほとんど感じることが無くなりました。大変ありがたいです。本当にありがとうございました。(栃木県KTさま)

○人参、ありがとうございました。メマイ、吐き気で動けなくなっていましたが、人参を口にゆっくりふくみ飲みましたら、30分ほどで動けるようになりました。吐き気もメマイも止まっていました。びっくりです。人参も毎日頂けるのが嬉しくて安心です。よしまさん、ありがとうございす。(愛知県YAさま)

○お世話になっております。肘に痛みがあり、人参さんを進められました。痛みがだいぶよくなりました。ありがとうございます。[神奈川県SMさま]

○(治)ミニ大根届きました。さっそくかじってみました。うわーっとあたたかくなってびっくりでした(冷え性なのですが)。嬉しい限りです。(東京都YNさま)
○よしまさんの人参さんや、おまかせ野菜セットを頂いてから、娘は疲れにくく、集中力がついてくるなど、心身共に強くなったように感じています。そして私は心を楽にさせて頂きました。毎日、自分自身のことで大きく抱えてきた不安があったのですが、その不安を消していただきました。ありがとうございました。(三重県Iさま)

○3ヶ月、ミニ大根有難うございます。お正月に少しの間口にしない期間があり、暴食ぎみでしたが、よしまさんの大根をちゃんと頂くようになって、胃腸の調子がもどりました。なんだか、おなか から安心するような感じがします。(大阪府KEさま)

(2011.6)

今年は、過酷な年でした。春ころは、作物が思うように育たず、畑の土壌もゴロゴロ、カチカチに固まっていました。

6月ころは、もう疲れきってしまいヘトヘトでした。

 その反面、今年の私の心境は、畑に立つと、なんだか不思議なくらい「嬉しいなぁ~、楽しいなぁ~」と、イイ気分がわいてくるのでした。そんな私を見て、姉が「今年の靖智(←私)の顔見ると、イイ顔してる。去年までは、はなんだか難しそうな怖い顔していたけど、今年は会っても気持ちいいから、きっといい野菜ができるかなぁ、と思ってたよ」と、言っていました。ずいぶん、いいことみたいです。 

今年も、野菜たちはいろいろなパフォーマンスを見せてくれました。そして私たち家族を応援してくれました。私自身、畑に出ることができる時間が十分なかったのですが、すべてのことが不思議なくらいにスムーズに進みました。

そして、夏もまだ盛りのとき、トマト達は、あっという間に枯れ果ててしまいましたが、その後に種まきした葉物野菜がびっくりするくらいにスクスクと生育し、晩秋には思いがけず、豊かな収穫を用意してくれました。

大きなレタスがなり、シャキシャキのミズナが育ち、チンゲンサイも立派でした。今まで不可能だったことが形になってきたのです。まさにミラクル!。逆に、その裏には収穫できなかったものもたくさんありました。種を播いても、生育せず、途中で消えていく野菜も多かったのでが、大変だと思うようなことも、結果はすべてのことが畑と私にとって、最高に良いことでした。

田畑はまた、野山の動物たちにとっても格好の良き食卓?のようでした。深夜には、クマ、イノシシ、カモシカ、ウサギ、タヌキなどなどが一同に集まってきているのがわかりました。

朝畑に行くと、いろいろな動物たちの足跡が無数に残されています。大豆、冬瓜、かぼちゃ、ジャガイモ、お米など、いろいろな作物を食べて頂いたのですが、それら動物たちは今を生きるために精一杯です。その命をつなぐ食べ物として提供したと思えば、動物たちからの「ありがとう」が伝わってくるようで、私自身に悔しさはなく、逆に満足で、愉快でした。

食べ物で人を養うこと以外に、同じ命としての山々の動物たちをも養うようなことができれば、それは新しい農業のスタイルなのかもしれません。・・・・夜の畑は動物たちの晩餐会場です。

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